先日、新潟県の十日町で3年に一度行われている芸術祭を訪れました。このイベントに友人が今回も作品を出していることも訪れた理由なのですが、作品はどこかの美術館などの建物にあるのではなく、里山や町中など十日町の”土地”に作品が点在しており、その土地の人たちとコミュニティを作り上げる必要があります。そのコミュニティのお手伝いを少しさせてもらい、その土地の人たちともふれあってきました。以下に大地の芸術祭のコンセプトなどを一部抜粋して載せておきます。
越後妻有は、縄文期からの豪雪や河岸段丘といった厳しい条件のなかで、米づくりをしてきた土地です。人々は、切り離すことができない人間と自然の関わり方を探りながら、濃密な集落を営んできました。そこから「人間は自然に内包される」という基本理念が生まれ、すべてのプログラムに貫かれています。人間と自然がどう関わっていくか――。その可能性を示すモデルになろうと、越後妻有の地域づくりは進められています。
大地の芸術祭では、およそ200の集落を手がかりに作品を散在させ、現代の合理化・効率化の対極として徹底的な非効率化を試みています。世界のアーティストが手がけた約200の常設作品に加え、会期中には新作を公開します。里山の美しさ豊かさを際立たせ、そこに積層した人間の時間を浮きあがらせるアートを道しるべに、人々は五感を開放し、生の素晴らしさや記憶を全身に蘇らせるのです。
アーティストは他者の土地にものをつくらねばならず、地域とのコミュニケーションが欠かせません。やがてアーティストの熱意が伝わり、住民は協働者として作品に関わり始めました。また、都会から多くの若者がボランティアに参加し、「過疎地の・農業をやってきた・お年寄り」と「都市で・何をやっているかわからない・学生」との出会いは、衝突・困惑から理解・協働へと変化していきました。
介護や医療の中でも地域づくりということが盛んにいわれています。この十日町でのコミュニティを体験して感じたことは、全ての人がフラットな関係の中にいて誰も突出していないことです。確かにまとめ役や旗振り役は必要ですが、それは役割であって上に立つということではないと思いました。そしてお互いに認め合いその先に、お互いに得るものがあるのです。
知らない人たち同士が知らない土地でコミュニティを作り上げていくことは、とても大変なことであり時間も要することです。介護や医療にはそんなに時間をかけることはできないと思いますが、一つの目標に向かいみんながコミュニティを作り上げらるように、微力ながら参加したいと改めて感じました。
永沼 武